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風葬とは?現在でも行われているのか?実態や歴史など解説

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死者を供養する習慣は地域によって大きく異なり、世界には様々な供養方法があります。

「風葬」という方法も世界で行われている供養方法の1つです。

この記事では、「風葬」について、現在でも行われている地域やそれぞれの考え方、主な手順、そして風葬に似た供養方法について解説します。

沖縄、京都、モンゴルなどで行われていた風葬についてもご紹介しています。

この記事を読むことで、風葬についての知識を深めることができます。

また様々な供養方法やその考え方について知ることで、文化の多様性や死に対する価値観を考えるきっかけにもなるでしょう。

風葬とは?

風葬とは、故人を火葬したり埋葬をしたりせずに、遺体を自然の中にさらして自然に返す供養方法です。

日本では火葬が主流のため馴染みがないかもしれませんが、世界では東南アジアなどを中心に現代でも行われている地域があります。

また以前は日本でも行われていた方法です。

自然にはさらして白骨化した遺体をそのまま放置しておく場合もあれば、お墓などに改めて納骨する場合もあります。

現代でも風葬が行われる地域

衛生的な問題などにより、風葬を行う地域は年々減っているものの、現代でも風葬が行われている地域が存在します。

その一部をご紹介します。

ボルネオ島

ボルネオ島は東南アジアのマレー諸島の1つです。ボルネオ島にはイバン族と呼ばれる民族が住んでおり、一般的には土葬が行われています。

しかし一部の英雄的な指導者に対しては「ルンボン」という台の棺に置かれ、自然に分解されます。

高い台の上で風葬することで神格化するという教えによるものです。

バリ島

バリ島のトゥルニャン村は風葬が行われている地域として有名です。

トゥルニャン村はバリ島の北東部、バトュール湖のふもとに位置する小さな村です。

風葬が行われる場所はタルムニャンという香りの強い木に囲まれており、遺体特有の腐敗臭などはしないと言われています。

トュルニャン村で行われる風葬では、白骨化したら頭蓋骨だけを墓地に並べたり自宅に持ち帰るなどし、それ以外の箇所はそのままの状態で放置するそうです。

風葬で供養されるのは寿命を全うして亡くなった方のみで、事故などで亡くなった場合や子供が亡くなった場合には別の方法で埋葬されます。

一部地域では、トルニャン村の風葬が行われているお墓を見学することもできます。

 

スラウェシ島

インドネシアのスラウェシ島も風葬が行われる地域として有名です。

スラウェシ島にはトラジャ族という民族が暮らしています。

風葬の他にも盛大な葬儀を行うことでも有名です。

葬儀を行った後は、洞窟や鍾乳洞の中に岩をくりぬいて墓穴を作り、そこに遺体の入った棺を置きます。身分の低い人は棺には入れらずそのまま安置されるそうです。

また身分の高い人が亡くなった場合には、洞窟の入り口に生前の姿を表したタウタウ人形と呼ばれるものが置かれます。

タウタウ人形には死者の魂が宿ると言われており、天の恵みを受けるために手のひらを上に向けているように作られています。

スラウェシ島内では、ミイラ化した先祖の遺体を手入れするという独特の文化を持つ地域もあるようです。

 

風葬が行われる理由

風葬が行われる理由には、信仰的なものや地理的なものがあります。

信仰による理由

地域によっては、その民族に伝わる信仰、または宗教の考え方によって風葬が選ばれています。

代表的なのは、人間は自然の一部と考え、亡くなったら自然に還すという考え方です。

また鳥や動物に食べさせるという、他の生物に生命を与える行為が最大の供養になるという考え方もあります。

鳥が肉体をついばんで飛んでいくことで天国へ運んでくれると考える地域もあるそうです。

火葬場・埋葬場所がない

離島などで火葬場や十分な埋葬場所がないという地理的・物理的な原因もあります。

 

沖縄で行われていた風葬

沖縄の墓地

かつて、日本の一部地域でも風葬が行われていましたが、その代表的な地域として沖縄が挙げられます。

明治時代には、法律によって禁止され、火葬が普及しましたが、離島では火葬場の整備が遅れたことから、1970年代まで一部地域で風葬が行われていたとされています。

沖縄で風葬が行われていた理由

沖縄で風葬が行われていた理由には、火葬場所の不足に加え、沖縄独自の信仰である「ニライカナイ」も関係しています。ニライカナイとは、遠い海の向こうにある異界のことで、その神が年初にこの世界にやってきて、豊穣をもたらすと信じられています。人の魂はニライカナイからやってきて、亡くなったらニライカナイに還るとされており、肉体を自然に朽ちさせることで、魂が早くニライカナイに到達できると考えられていました。

 

沖縄で行われていた風葬の手順

まずは海に面した崖または洞窟の中に遺体を安置します。雨風や海の潮などによって遺体は自然に腐敗していきます。

そして遺骨になったら、穢れを払うために「洗骨」と呼ばれる、遺体を海水で洗う儀式が行われます。洗骨された遺骨は骨壺に入れられ、お墓に納められるというのが沖縄で行われていた風葬の流れです。

洗骨は主に女性によって担われていました。

戦後の女性解放運動が高まっていた時、女性たちの訴えによって廃止されました。

そして保健所からの衛生面の指導があったことなどから、現代では各地に火葬場が整備され、風葬が行われることはなくなっています。

 

京都で行われていた風葬

京都には三大葬送地と呼ばれる場所があります。

嵐山の北西にある「化野(あだしの)」、清水寺~大谷本廟付近の「鳥辺野(とりべの)」、京都市内北部の「蓮台野(紫野)」です。

平安時代、身分の高い人たちは土葬や火葬されていましたが、一般市民が亡くなった際は風葬が行われるのが一般的でした。

化野、鳥辺野、蓮野台は風葬の際に、かつて遺体が置かれた場所です。

モンゴルで行われていた風葬

モンゴルでは現在、土葬または火葬も徐々に増えているようですが、風葬も行われていました。

モンゴルで行われていた風葬の流れ

まず亡くなったら、家族が住んでいる部屋とは別の部屋に安置されます。

モンゴルでは家族が死者に触れたり同じ部屋にいることは許されません。遺体が安置された部屋に入れるのは僧侶だけです。

別の部屋で3日ほど安置したら、遺体をお経が書かれた白い布でくるみます。

そして遺体をラクダまたは馬車に載せるのですが、その際遺体がずり落ちていくように緩く固定されます。

そして遺体が落ちたところでそのまま置いておきます。数日後に確認しに行き、遺体がなくなっていれば成仏したと考えられるそうです。

遺骨はそのまま放置されます。もしまだ遺骨になっていなかった場合には場所を移されることもあるようです。

そして遺体が落ちたところでそのまま置いておきます。数日後に確認しに行き、遺体がなくなっていれば成仏したと考えられるそうです。

遺骨はそのまま放置されます。もしまだ遺骨になっていなかった場合には場所を移されることもあるようです。

海洋散骨など、火葬をしたあとであれば、海に撒くことなどもできるので検討してみてください。

食葬

食葬とは、亡くなった方の遺体を遺族や友人たちで食べる供養方法です。

オーストラリアの先住民であるアボリジニによって行われていました。

元々は勇者が亡くなった際に、その肉体を自分の一部に取り入れることでその魂を受け継ぐという考えのもとに行われていたそうですが、実際には勇者でなくても食べていたとされています。

いわゆるカニバリズムになりますが、死者の身体を食べることは感染症などの病気に繋がる危険性が高いため、現在では政府によって禁止されています。

まとめ

ここまで風葬の概要や、風葬が行われている地域やそれぞれの考え方、風葬の流れをご紹介しました。

まとめると次の通りです。

  • 風葬とは遺体を自然にさらす供養方法のこと
  • 宗教や民族的な信仰、また火葬場がないなどの物理的な要因によって行われている
  • 現在でも東南アジアのボルネオ島、インドネシアのバリ島、スラウェシ島などの一部地域で行われている
  • 日本でも沖縄や京都でかつて行われていた
  • 地域や宗教、亡くなった方の身分によって風葬の中でも流れや作法が異なる

風葬は火葬が一般的な日本では馴染みがなく、残酷だと思うかもしれません。

しかし風葬が行われている地域では、その土地や民族の考え方があります。

違いに触れることで、ご自身の死に対する価値観を考え直すきっかけにもなるでしょう。